マスオさんの奮闘日記

マスオさんの日常やら仕事のことやらを書いてます。

次男出産の時の話

こんにちは、マスオです!

今回は次男出産時の話をさせていただきます。

※これはX(旧Twitterの固定)にて発信しているものなので、

Xから来られた方は重複するかもしれませんが、ご承知ください。

また、Xでは日々の発信をしておりますので、興味がある方は

マスオさんの奮闘@長男次男が推し

@2023copyNinja

で検索して、見ていただけると嬉しいです。

 

 

 

はじめに

長男出産時は自然分娩で、5時間という長丁場を妻が頑張ってくれたおかげで、

大きな問題なく、出産することが出来ました。

次男くんを考えるのも、長男が3ヶ月を過ぎた頃から、兄弟欲しいよねと話題に出しており、長男が半年を過ぎたことから、自然妊娠できたらいいねという思いでいました。

実際、数ヶ月後には妊娠がわかり、夫婦共々喜んでいました。

順調に妊娠生活を過ごしていましたが、、、

 

妊娠生活の苦難

つわりが酷く、妻も嘆いていました。

長男もハイハイができるような状態のため、

体への負担も少しずつ大きくなっていきました。

食べたらすぐ吐く、飲み物は水のみ、体調がいい時はゼリーは食べれる

といった生活。妻の体重はみるみる減少していきました。

6ヶ月を過ぎたことから、徐々に食べれるようになり、

顔色もよくなっていきました。少し気になるのは、頭痛とめまい。

これは付き合っていた当時からあったものでした。

かかりつけ医に薬を処方してもらって、飲んでいましたが、

お腹に赤ちゃんがいるため、薬を服用することを基本的にはせずに

過ごしていました。

 

30週

その日の前日は、特に妻の状態は悪くないという印象でした。

明日は長男の予防接種があるのため、私は書類を記入したり、

診察券を探したりと妻に聞きながら準備をしていました。

 

そして、翌日、、、

早朝に妻が起きたタイミングで私も目覚めました。

5時ぐらいだったと思います。

妻はなんか気持ちが悪く目が覚めてしまい、

トイレに吐きに行くために起きた感じでした。

私も水を準備して、トイレにいる妻に渡し、背中をさすっていました。

体調悪いなら、お義母さんに付き添ってもらって、

産科を受診するように伝えていました。

妻は、いつものことだから大丈夫と。

ただ、めまいと頭痛、吐き気なので、万が一があるといけないと

思い、お義母さんに状況を伝え、様子を見てもらうように伝えました。

 

そして私は、長男の予防接種の準備をし、車で出かけました。

その移動中に妻からLINEで”産科に受診する”とメッセージが来ました。

私は、”気をつけてね、何かあったら即連絡してね”と返信。

 

問題なく長男の予防接種を終え、自宅へ帰る道中に

見知らぬ番号から電話がかかってきたのです。

 

産科からの連絡

電話は妻が通っている産科からでした。

何気なく電話に出てみると、第一声に

「妻さんの旦那さんですよね?奥さん意識不明で、大きな病院に搬送します。

〇〇病院に向かってください。」

 

??????

理解ができませんでした。

意識不明?どういうこと?

気が動転している私は、出るはずもない妻へ電話していました。

もちろん出ません。

 

義両親と同居をしているので、お義母さんへ連絡しましたが、出ない。

お義父さんへ連絡し、つながったため、

状況の共有をし、〇〇病院に向かいました。

 

ふっと後部座席を見ると、長男が無邪気に笑っている姿がありました。

本当に現実なのか分からなくなりました。

長男の笑顔と裏腹に私は、数十年ぶりの涙を流しながら、運転していました。

 

病院に到着

病院に到着し、緊急の窓口へ移動、”緊急搬送された〇〇の夫です。”と

伝えると、奥の方で”ドクターヘリで運ばれた〇〇さん”と看護師同士の

情報共有に耳を疑うワードがありました。

ドクターヘリ?ヘリを使って搬送された?生きているんだよね?

と不安を増長させていました。

そのまま看護師の方に案内され、待合室へ通されました。

 

状況説明

長男を抱っこし、涙を浮かべながら待っていると、

医師と思われる方が待合室へ入ってきました。

そして、状況説明をしていただけました。

 

私が理解できたのは、

・妻が意識不明で、AEDを使用したが、心肺に問題ないと機械が判断し、

電気ショックはされていない

・お腹の子は万が一があるといけないため、帝王切開にて出産を行う

・妻の容体は未だ不明

 

すでに手術は開始されており、それに伴う書類が数十枚目の前に出されました。

署名を進めている最中に義両親到着。

その時、少しの安心感を得たのかわかりませんが、また泣けてきました。

 

次男との対面

書類を書き終わって、1時間ほど待って次男が出産されたことを伝えられました。

”元気な男の子です”と言われた時、無事に生まれてくれてよかったとまた涙。

その5分後、保育器に入った次男がNICUに移動する際に、

見ることが出来ました。

小さな体で、その体に合わない呼吸器をつけ、手を動かしているんです。

命の大きさを感じた瞬間でした。

そして、主治医として担当してくれた男性の医師から

”元気な男の子です、お母さん頑張ってくれましたね。”

と言葉をかけてくれました。

 

めちゃくちゃ泣きました。お義母さんに背中をさすられ、

子供のように肩をヒクヒクさせながら。

大人の男が泣く声が廊下に響いていました。

 

妻の容体

3分ぐらい号泣したかと思います。

またその医師から、”奥さんはまだ手術中なので、容体はまだお伝え出来ません。

もうしばらくこちらでお待ちください。”と説明がありました。

 

もうお昼をすでに過ぎ、長男はお腹が空いたようでぐずっていました。

義両親は一旦長男にご飯をあげるために、その場を離れ、

私はその待合室でまた座って、手を合わせて、妻の手術が無事終わるように

祈っていました。

 

1時間ほど経って、別の医師が待合室に入ってきました。

”手術が終わり、奥さんの容体も安定しました。

意識も少し回復しているので、30分後ぐらいに面会することが可能です。”

妻も無事だった。本当に良かったと、肩の力が抜け、また涙腺が崩壊しました。

 

妻との面会

30分後、妻との面会をするために、ICUへ。

私が目にした妻の姿は、色んな管がつけられ、

術後の疲れか、寝ている様子でした。

 

会話はできなかったですが、手を握り、”生きてくれててありがとう”と

何度も何度も声に出して、語りかけ、面会時間ギリギリまで手を握っていました。

 

その日は一旦家に帰り、妻の入院の準備をしました。

夜は全然寝れなかった。今日のフラッシュバックみたいなものが

思い浮かんでしまい、目を閉じるのが、少し怖かった。

隣で寝ている長男をずっと眺めて、夜を過ごした。

 

翌日、私1人で病院へ。

ICUにいる妻に面会をした。

面会した際、妻を起きていて、会話することが出来た。

妻の第一声は”赤ちゃん大丈夫?”と涙を浮かばながら、聞いてきた。

その言葉で私も涙を堪えきれず、”大丈夫だよ、元気だよ”と返した。

 

妻は、ICUで1日過ごし、その後は産科へ移動するとのこと。

私は一足先に次男の様子を見るためにNICUへ行った。

次男はぐっすり寝ていた。ミルクも管を使って飲めている様子だった。

体重が1700gのため、一定の体重と口でミルクを飲めるまでは

NICUもしくはGCUで過ごすと説明を受けた。

 

妻と次男の対面

その翌日、妻は歩行器を使いながら歩けるまでに回復していた。

率直に回復早くないと思うほどだった。笑

 

時間を指定して、一緒にNICUへ。

一緒に次男を見て、妻は泣いていた。

”小さく産んでしまってごめんね”と

小さな次男の手を握って伝えていた。

私は妻の肩を抱きながら、

”そんなことない。二人とも元気にいてくれてありがとう”

と涙ながらに伝えた。

 

後日談

その翌日からNICUに毎日通いながら、妻と次男と顔を合わせるようにした。

仕事はあったけど、理解を得て、午後から出社+在宅で対応してもらえた。

約2週間後に妻は退院、次男は2ヶ月後に退院できました。

現在、妻の体の不調をしっかり見てもらうために、

病院に通って色んな検査をしてもらっています。

次男もミルクをこれでもかってぐらいたくさん飲んで、すくすくと

大きく育ってくれています。

 

教訓

普通に生活してて、明日も同じように繰り返される

という概念はこの出来事で普通じゃないと感じるようになりました。

 

何が起こるか分からない、突然いなくなる可能性がある、

そんな可能性があるから、今現在を必死に生きて、

家族への時間を最大限取ることがどんなに大切なのかと。

二度と起こってほしくない事でしたが、

とても重要なことを感じとれた事でもありました。

 

皆さんは大切な何かはありますか?

そのために何かしていることはありますか?

今を大切にするために行動してみてはいかがでしょうか。

 

長文を読んでいただきありがとうございました。

皆様のより良い日々に”気づき”になれれば幸いです。